映画『シェイプ・オブ・ウォーター』考察。デルトロが批判する“永遠の愛”とは。
今回はギレルモ・デル・トロ監督映画『シェイプ・オブ・ウォーター』のお話し。
圧倒的な映像の美しさに隠れて気づきにくい、デルトロ監督のメッセージを、数あるデルトロ映画と比較して解説&考察していく。
お品書き
作品情報
シェイプ・オブ・ウォーター(2017)
The Shape of Water
上映日:2018年03月01日/製作国:アメリカ/上映時間:124分
ジャンル:ドラマファンタジー
監督
ギレルモ・デル・トロ
脚本
ギレルモ・デル・トロ
出演者
サリー・ホーキンス
マイケル・シャノン
リチャード・ジェンキンス
ダグ・ジョーンズ
マイケル・スタールバーグ
映画賞・映画祭
アカデミー賞
ゴールデングローブ賞
ヴェネチア国際映画祭
ロサンゼルス映画批評家協会賞
あらすじ
1962年、アメリカとソビエトの冷戦時代、清掃員として政府の極秘研究所に勤めるイライザ(サリー・ホーキンス)は孤独な生活を送っていた。だが、同僚のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)と一緒に極秘の実験を見てしまったことで、彼女の生活は一変する。
人間ではない不思議な生き物との言葉を超えた愛。それを支える優しい隣人らの助けを借りてイライザと“彼”の愛はどこへ向かうのか……。
シェイプ・オブ・ウォーター - 映画情報・感想・評価(ネタバレなし) | Filmarks映画
三つの色から読み解く本作のテーマ
映像のなかで印象的な色は青と赤だが黄色の存在が重要な役割を担っている。
黄色が意図的に演出されていたのは、家と私服。
警備職員ストリックランド、友人ゼルダ、友人ジャイルズ、この三人は家も私服も黄色。
そしてイライザの家と私服は青。
このことから、
青=《孤独》
黄=《コミュニティ》
と解釈できる。
(ジャイルズのコミュニティだけ猫だが、ゼルダとストリックランドには伴侶がいる)
そこで赤の持つ意味だが、赤い色のヘアバンドはイライザがアセットとのセックスの前に身に付け始めていて、イライザの真心、つまり、
赤=《孤独を繋ぐもの》
を表しているように思う。
この赤色と黄色の関係性が一番重要で、
“黄色はあくまでコミュニティで愛はなく、孤独で繋がれた赤色にのみ愛がある”という主張である、
冒頭に映るイライザの部屋のスタンドライトは黄色っぽい色だが、二人が浴室に水を貯め抱き合って、ジャイルズが水漏れを止めさせようと部屋に入ってきた時に、初めて赤色のスタンドライトが登場する
家を出るシーン、画面の右側、玄関扉の右に赤色のスタンドライトがあるのだが映らない
ちなまに、水の中にある家を舐めるように撮った冒頭のシーンでも死角になっていて映らない
初めて映る
黄色いスタンドライトとは別物
(この演出には鳥肌ですよね…孤独な世界に愛が灯る的な…ロマンチック)
また、黄色のコミュニティに愛がないというのは、ゼルダは夫に最早なんの真心も持っていないということが、その根拠である。
ストリックランドにおいては、イライザを誘惑した上に、妻とのおせっせの時、妻をしゃべれないイライザと重ねるために「黙れ」等と宣ったのだから真心もくそもない。
そして、ストリックランドは黄色い家に黄色い服でいながら、終盤追い詰められてくると家のなかで唯一青い間接照明があたる壁を背後に座っていて、その後は家を出てあの青いキャデラック乗り込む。
コミュニティの中にいながら孤独の世界へ逆戻りするストリックランド。
別日のシーンだが、ストリックランドのいる部屋の壁紙は本来黄色
背後にだけ不自然なほど青い間接照明
一人になるべく出かける予定もないのに車へ
指の結合部分から膿が出る
(かあいそう…)
以上のことから、赤は《孤独を繋ぐもの》
愛であり真心であり、本作で唯一イライザのみが持っている色なのだ。
「あなたには決してわからない、私がどんなにあなたを愛しているか、どんなに深くあなたを想っているか、愛を証明したいのにどうしていいのか私にはわからない。永遠にこのままよ、今あなたが気づいてないなら。」
愛を証明する手段がないと嘆くイライザ。
ゼルダやストリックランドは婚姻やエンゲージリングでもって真実の愛を証明して来たのに、今これ程まで熱烈な愛を伴侶に対して抱いていないことは明らかだ。
夫婦は時と共に真心を忘れてしまった、という意味に思える。
冒頭のジャイルズのセリフ
「彼女について知りたい?声を失った王女のこと。または警告しておこうか?真実と愛と喪失の物語について、すべてを壊そうとしたモンスターについて」
前半ではイライザの事を指しているが、
後半からはモンスターの事を、ストリックランドの事を指している。
“真実の愛と喪失の物話”は孤独の世界へ逆戻りするストリックランドの物語なのだ。
ちなみにストリックランドがエンゲージリングをはめる左手薬指をアセットに切られてから家族の中でも孤独を感じるようになったり、アセットを奪われる失態を犯した際に成功者が乗るティール色の車をベコベコにされたり、最後には喉を切られて声が出せなくなるし、本当に皮肉が効いてましたね。
ストリックランドはたとえ喉を切られて生き抜いたとしても“声を持たない孤独な人生”が待ち受けているというのは本当に皮肉、デルトロ式ブラックジョーク。
イライザやアセットをバカにした報復でしょうか?
おせっせの時妻に「黙れ」とか言えなくなっちゃいましたね、物理的に。
でも自慰をするときはきっと声が出せない自分をイライザと重ねることが出来ますね!
何はともあれ本作では、
『《永遠の愛》というのは幻想であり、ファンタジーだ、時間の流れの中で失われてしまって、愛は失われていく。』
とデルトロは主張したのでは?というのが私の考えだ。
その永遠の愛を否定するテーゼの役割を担ったのがかわいそうなストリックランドであり、永遠の愛を手にいれたであろうアセットとイライザは本作に置けるアンチテーゼだった。
しかし、今までのデルトロ映画と違うところは主人公が幸せを掴むということ。
これについては次のセクションでお話しする。
デルトロ映画に共通するテーマの読み解き方
(他作品のテーマのネタバレあり)
映画には、視聴者にお説教する“問いかけ型”と、監督の言いたいことをとことん見せつけてくる“自己主張型”があると個人的に思っている。
そして、ギレルモ・デル・トロ作品はかなり“自己主張型”に寄っていて、独自の手法でテーマを主張してくる。
その先駆けとなった映画が『パンズラビリンス』である。
本作では、幸せな虚構の世界と無情な現実の世界が独立したエンディングを迎える手法を編み出した。
ファンタジー映画でありながら、ファンタジーを妄想の世界だと真っ向から否定したのだ。
これはテーゼとアンチテーゼが逆転するデルトロならではの手法である。
一般的には美しいファンタジーの世界を描きたければ、アンチテーゼとして無情で残酷な現実を描くのだが、それが逆になっているのだ。
デルトロは無情で残酷な現実を描くために、アンチテーゼとして美しいファンタジー(妄想の世界)を描いた。
デルトロ映画に関しては一見テーマであるように美しく描かれているものが否定されていて、それと逆のことを伝えようとしてる、と思って見ればわかりやすい。
2006年『パンズラビリンス』では主人公が見る“妄想の世界”
2007年『永遠のこどもたち』では主人公が見る“死後の世界”
2013年『MAMA』ではダブル主人公の一人ママの“親が子供対して抱く愛”
2018年『シェイプオブウォーター』では主人公以外が誓った婚姻による“永遠の愛”
それぞれの映画でファンタジーを使い異なるテーマを否定している。
また、時を経るにつれ、独立していたファンタジーの世界と現実の世界がだんだん密接な関係になり、
主人公が否定されていたのが、だんだん主人公以外を否定するようになってきている。
つまり
『パンズラビリンス』
→妄想の世界と現実世界が完全に隔離されている
→妄想をする主人公が、妄想の世界などないと否定される。
『シェイプ・オブ・ウォーター』
→ファンタジーと現実が完全に融合したお伽噺風のリアルな世界感
→ストリックランドの永遠の愛が否定される。
と比較することが出来る。
イライザはデルトロ作品で、お伽噺の世界観とはいえ、初めて現実世界で幸せを掴む主人公だったかもしれない。
感想
めっちゃ刺さった映画。
ラブストーリーがこんなに私に刺さるとは。
見ててワクワクする!
というよりハイになるというか…
映像や人物や演出のクオリティも高い!
というより純度が高いといいますか…
一言で感想を述べると、ブッ飛ぶ。
本年度の“エラから吸いたい合法シネマ部門”金賞です!!!
相変わらず長文で読みづらい記事でしたが、ここまでお付き合い下さりありがとうございました!
予告編映像がとても美しいのでリンク張り付けときます、是非。
『シェイプ・オブ・ウォーター』日本版予告編
今回ちらっとお話しした『MAMA』の記事はこちら
badendnihaimigaaru.hatenablog.com