映画『グリーンマイル』考察。エンタメの裏側にあるメッセージ。
第一回、スティーヴン・キング原作映画、グリーンマイルについてお話していく。
誰もが知る名作なのであらすじは省略するが、
この映画に対して多くの人が、「何故こんな悲しい結末を迎えるのか?」と思うだろう。
そして、「こんな結末で何を伝えたかったんだ?」とも思うはず。
この映画のメインメッセージを読み解き、視聴者の誰もが感じた絶望感に寄り添っていきたい。
そして本作が愛される理由を、死の間際でジョンが感じたものに焦点を当てお話ししていく。
私が推測するメインメッセージは以下の通りである。
”死の際にたった時、自分自身の行いを振り返り、誰でもない自分が過去の清算をする。その時、死を救済として迎えられるかどうかは、自分自身にかかっている。”
メインメッセージ解読に欠かせない二つのキーワードについて、先に記しておく。
一つ目 死の際
これは、作中で表す所の、グリーンマイルを歩く直前、独房での最後の時間を意味する。
二つ目 救済
これは天国の言い換えであり、精神的な救いを示す。
天国は冒頭で年老いた主人公が見て号泣する映画の歌詞であり、最初の死刑囚のセリフにも登場し、そして黒人の囚人ジョンが死の直後口ずさむ言葉でもある。
このキーワードを踏まえてメインメッセージを解読していくが、メッセージに触れるシーンは三時間ある映画の中のわずか数分、たった二つのシーンで語られる。
一つ目のシーンは死刑を迎える最初の囚人のシーンである。
ここにメインメッセージに迫る台詞がある。
『自分の行った悪事を心から悔いれば、一番幸せだった時に戻って暮らせるのかな?そこが天国かな?』
死刑執行間近、死刑囚は主人公ポールに対しポツリポツリと語り出し、死への恐怖に怯えながら、グリーンマイルを歩き電気椅子で処刑される。
このシーンが持つ意味をキーワードに即して深読みすると、
"避けられぬ死への道のりの中に救いを見出せるのかは自分の行ってきた罪による"
ということになるだろう。
二つ目のシーンはストーリー終盤ポールが黒人の囚人ジョンを死刑台に送る前のシーンである。
『最後の審判の日、神の前に立った時、神はおれにお尋ねになる“なぜお前は殺したのだ?奇跡を行う私の使いを”おれはどう答える?』
『こう答えなさい“私は親切な行いをしたのだ”と。』
このシーンは、無実であったジョンを職務により死刑台に送らなければならなくなったポールが、ジョンに問いかけるシーンだ。
この神の言葉は、ポールが死刑台で罪人に問いかける、『最後に言い残すことは?』という言葉と同義であろう。
ポールはすでに自分が電気椅子の上の死刑囚であるかのように罪の意識を感じていたのだ。
この後、ポールはジョンを電気椅子に座らせ、職務として最後の言葉を放つ。
『最後に言い残すことは?』と。
以上の二つのキーワードと二つのシーンを踏まえて、メインメッセージをもう一度読んでみよう。
”死の際にたった時、自分自身の行いを振り返り、誰でもない自分が過去の清算をする。その時死を救済として迎えられるかどうかは、自分自身にかかっている。”
この映画は「悪いことをすると天国へ行けない」なんて決して言わず、自らの死に何を見出すかは神でもなんでもない自分自身だと言っているのだ。
自分自身が死の間際、自分の人生を振り返り、「自分はよくやってきたよな」と人生に満足し死に安らぎを感じる事ができるかどうかは全て自分自身に掛かっている、と視聴者の誰もが直面する死に対して、痛切な問いかけをしているのである。
本作が愛される理由、死の間際でジョンが感じたもの。
スティーヴン・キング原作映画の魅力と読み解き方について。
スティーヴン・キング原作映画といえば、ミスト、ペットセメタリー、シャイニングなど、視聴者が受け止めきれないほどのバッドなエンディングを迎えることが特徴的である。
「悲しすぎる」
「主人公たちに救いがあって欲しかった」
「最悪の胸糞映画」
などと言った感想が巷に溢れかえっているのは周知の事実である。
心が傷付いてしまった視聴者が無理やりストーリーに救いを見出そうとして支離滅裂な文言を垂れることもしばしば。
しかし、前回お話ししたように、この映画は厳しい現実とそれに立ち向かう教訓を視聴者に示してくる映画だと私は思っている。
現実から目を背け、安直な救いを求めるのは些かナンセンスではなかろうか?
昂る感情に流されずしっかりと映画のメインメッセージに目を向けることでしか、映画に希望は見出せない。というのが私の考えである。
しかし、そんな事に頭を抱えなかったとしてもこの映画は存分に楽しめるものとなっている。何だかんだと言って視聴者の評価が高いのだ。
その理由は何か、メインメッセージの他に楽しめるエンタメ的要素がこの映画にはごまんとあるのだ。
ミステリー、コメディ、ヒューマンドラマ、ファンタジー、これらの多彩すぎる要素を持ちながら纏まりのある映画になっていて、その構成は美しくすらある。
そしてそれぞれのカテゴリーが重なりあって迎えるエンディングは視聴者に感動を与えるあまり、視聴者の意識がメインメッセージまで届かないのという訳である。
そして結末に関して、映画を見て、もし、その身に余る大きな悲しみに苛まれたなら、映画に対する見方を変えてみてほしい、少しは悲しみが柔らぐかと思う。
まずは思い返してみて欲しい。
見失ってはいけない事実が映画の中にある。
ジョンは死刑を免れたいとは思っていないし、自分の罪が冤罪であろうがなかろうが当の本人が作中で全く頓着してないのである。
檻から出たいとも、生きていたい、とも言っていない。
神の力を手にしながら、その力がもたらす痛みと苦しみに辟易している。
そして、彼自身が死を望み、友人であるポールにその命を委ねる事ができ、活動写真の中に少しの天国と言う希望を見出した。
メインメッセージをおさらいしよう。
”死の際にたった時、自分自身の行いを振り返り、誰でもない自分が過去の清算をする。その時、死を救済として迎えられるかどうかは、自分自身にかかっている。”
死の際でジョンは何を感じたか
双子の両親からの"憎悪"、看守たちの"愛"、
死の"恐怖"、死への"救済"、もしくはそれ以外か
涙滲む視界で冷静には見えなかったであろう最後のシーンを詳しくおってみてほしい。
きっとクライマックスの印象が変わるだろう。
最後の場所に足を踏み入れたジョン、
『おれを憎んでる人間が大勢来てる、感じるよ、蜂のように刺さる』顔を歪める
「おれたちを感じろ、お前を憎んでいないよ、感じるだろ?」
ブルーテルが穏やかに微笑みながら答える
顔を歪めたまま頷くジョン
「そいつを二度殺せ!うちの娘たちを犯し殺した奴だ、二度、殺せ!」双子の父親
彼を見て苦痛に顔を歪めるジョン、拘束具が取り付けられる。
「第一スイッチ」ポールの台詞。
照明が明るくなり、天を見上げる
目にその光が反射する
「そいつを早く苦しませて、早く地獄の苦しみを!」双子の母のセリフ、彼女を見下げた事によりジョンの目に影が落ちる
「ジョンコーフィ、陪審員と判事が下した判決に従いこれより死刑に処す、何か最後に言い残すことは?」ポールのセリフ
『生まれた事を謝る』はっきりと答えるジョン
一瞬、悲しく目を伏せるポール
看守の一人により黒い布がジョンの顔にかけられようとする
『お願いだ、ボス、これを被せないでくれ、暗くしないでくれ、暗闇が怖いんだ』
ジョンの顔には涙が流れている
「いいよ ジョン」看守としてではなく、友人として答えるポールのセリフ
ジョンの顔は少し安らいでいる
頭に処刑器具が取り付けられていく
『ここは天国…天国…天国』
歌を口ずさむジョン、緊張のためか呼吸が浅い
「ジョンコーフィ、州法に従い、死に至るまでその体に電流を流す……神の慈悲、あらん事を」見つめ合いながら、台詞の間に奇妙な間がる、看守としてのセリフか、友人としてのセリフか、
ジョンが一瞬、ごく僅かに微笑む
長い間があく
「ポール、言うんだ、早く命令を出せ」
僅かに二度小さくうなずくジョン、その顔に怯えは見えない
ジョンに歩み寄り手を握るポール
『愛を利用して人を殺した、同じ事が世界中で起こってる』不思議な力でポールにジョンの声が届く、ジョンの表情は慈悲に満ちている
頷くポール
手を離し、しかしジョンを見つめながら離れるポール
「第二スイッチ」
ポールの声は掠れている。
ジョンの体に電気が流れる。
ポールは涙を浮かべた優しい表情で見つめ続ける。
今回の考察について、「それは違うのでは?」と思った方は是非コメント下さい。
いちスティーヴンキングファンとして、映画グリーンマイルを愛するものとして、私が作品を読み解く手助けをしてほしいと思います。
また、本作を宗教的な視点から考察したブログがありますので、こちらも是非ご高覧下さい。おすすめです!
【考察】グリーンマイル、その解釈であってますか? - なおさん